サトルの隠れ家

サトルのヨタ話です!

潰瘍性大腸炎の調子がいまいち・・・

持病の潰瘍性大腸炎の調子が最近あまりよくない(-_-;)

 

年度初めで環境が変わったこともあって、ストレスによって調子を崩しているんだろうなぁと思っているのだけれど、調子が崩れる速度に対して治まる速度は遅いことが難点だ。

 

日常生活は遅れているし出勤も出来ているけれど、仕事中もちょこちょこトイレに行かないといけない感じ。

 

便意はあるけれど、出すものはない感じがずっと続くのが辛い。

いつでも安心してトイレに行ける環境じゃないとちょっと心配。

しかも、一度トイレにこもると、しばらく出てこれないこともしばしば(=_=)

 

昨日は最近にしては比較的調子がよくてよかったけれど、今日は朝からトイレにちょこちょこいかないといけなくて、せっかくの休日だけどモチベーションが上がらない。

 

何か、このお尻に付きまとう嫌な感覚を緩和する方法はないか探してみた。

 

そしたら、湯たんぽでお腹やお尻を温めると少し緩和されることに気が付いて、今まさに湯たんぽでお腹を温めているところ。

 

トイレで踏ん張るのも体力使うから、何回もそれがあると結構疲れる(-_-)

 

服薬しながら早く収まってくれることを願うしかないかぁ。

 

GIVE&TAKE

今日も朝から「めんどくさいなぁ」と思いながら、のんびり起床した。

何がめんどくさいのか分からない。

 

でも、とりあえず、めんどくさい。

 

生活の中に夢中になれるものが無いことが原因かもしれないけれど、夢中になれるものを探すこともめんどくさい。

そして、今までの経験上、夢中になれることって、意識的に夢中になるものじゃなくて、気づいたら“夢中になっていた”と言うことが多い。

 

結局無理に夢中になろうとしたり、興味を持とうとしたりしても続かないし、心のどこかで、「これ違うなぁ・・・」と思いながら過ごすことになる。

夢中になれるものなんて別になくてもいいと思う。

興味なんて狭くていいと思う。

 

今の世の中には、夢中になれるものが無い人、興味の範囲が狭い人のことを揶揄する風潮があるような気がする。今の世の中じゃない、過去の世の中がどうだったのかは知らないんだけれども・・・そして未来がどうなるのかもわからない。

 

なんだか、他人に対する許容範囲が狭くなっている気がする。

一人一人の余裕がなくなってきているのかな。

余裕があるとはどういう状態なのか、明確にできていないけれど、余裕を生み出す一つの要因は“自分の生活に満足していること”だと思う。

 

満足の基準が人それぞれ違うから、どこまで行けば満足でいるのかは人によって違うけれど、衣・食・住が賄えていれば基本的には満ち足りている状態だと思う。つまり、衣・食・住があるということが満足していることのベースラインだと思う。

 

でも、今のご時世、衣・食・住があっても、そこからさらに過剰な満足を求めようとする。ものを手に入れる、人からの承認、他人への優越・・・

終わりが見えない「欲」のらせん階段をひたすら登っていくようなものだと思う。

 

こんなことを言っている自分も、過剰な満足を求めてしまうことももちろんある。

求めることはいいと思う。それが、生きるモチベーションや、生きがいにつながることもあるかもしれないから。

ただ、自分が過剰な満足を求めているのかもしれない、ということに気づく必要があると思う。

 

自覚無く、過剰な満足を求めると、それがやがて争いにつながるような気がする。

戦争とかそういう大きな話じゃなくて、日常生活に起こる、人間関係において、傷つけあいが発生するということ。

 

余裕があれば、たいていのことはやり過ごすことができると思う。そして、もう少し、与えることができると思う。でも、今はみんなが何かを欲しがっているような気がする。だから、みんな誰かから、何かを得ることに必死。

 

GIVE&TAKEってたまに聞くけれど、今はTAKE過多だと思う。

そして怖いのが、自分がTAKE過多になっているということになかなか気づけないということ。

人間は他人の事にはすぐに気づくけれど、自分のことになると急に気づかなくなる生き物だと思う。

自分もそうだから、偉そうに人の事ばかり言えないけれど、多くの人がTAKE過多になっているかもしれないと自問できれば、TAKEとGIVEのバランスが取れてくるんじゃないか、と思う。

 

まとまりがないのは仕方ない。

今日はそういう日

今日は人生がめんどくさいなぁ、と感じてしまう日。

時々そういう日がある。

いや、時々じゃないかもしれない。

心のどこかではいつもそう感じているような気がする。

何がめんどくさいのかわからない。

とにかくめんどくさくなる。

日常生活活動がめんどくさくなってしまう。

仕事もめんどくさいけれど、仕事終わりのプライベートもめんどくさくてたまらなくなってしまう。

生きることそれ自体がめんどくさい。

いつか必ず死ぬことが決まっているのに、生きていることが虚しいと感じる。

死ぬからこそ一生懸命生きるって考え方もあるけれど、死ぬからこそやる気が出ないってパターンもあるよなぁと。

我ながらひねくれているな・・・

でも、感じてしまうのだから仕方ない。

考えることは意識的にすることだけれど、感じることは無意識的に自動的に引き起こされるものだと思う。

はぁ、結構疲れるんだよな~。

周りの人たちを見ていると、みんなそんなに何かを感じているようには見えないけれど、いろいろ思っているんだろうな~

 

そういえば、人間関係ってめんどくさい・・・

生きることがめんどくさくなる大きな原因の一つが人間関係だと思う。

ときどき、人も声が聞こえるだけでも疲れるときがある。

大げさかもしれないけれど、本当に誰の声も聞きたくない時がある。

音じゃなくて、文字ですべてのやり取りをしたい。

でも、lineが入っていても見たくない時がある。

lineをとおして人の気配を感じるから。

 

世の中にはlineが来なくて悲しい思いをしながら生活している人もいると聞くけれど、連絡なんて頻繁に来ない方が自然な生き方なような気がする。

 

人間は利他の精神を持っているとよく聞くけれど、それは本当なんだろうか・・・

そういうことに関しても疑問を感じてしまう自分の感覚にも嫌気がさすときがある。

困ったものだな~。

難しい本を読むと理解できない。

そもそも難しい本を読んでいるのかもよくわからない。

 

昔と今とでは「死」と言うものの存在が遠くなっているようだ。

昔は、人の死が身近にあって、自分もいつか死ぬことが分かっていた。

しかし、今は自分が死ぬことは知識としては分かっていても、本当に理解しているかと言うと、なかなか理解している人は少ないのではないかと思う。

自分もその一人だと思った。

いつかは確実に死ぬ。でも、いつ死ぬのかもわからない。死ぬときにどういう形で死ぬことになるのかわからない。穏やかなのか、苦しいのか、痛いのか、老衰か・・・

想像しようとしてもなかなか想像できない。

どうせ死ぬのだからもっと気楽に生きていきたいものだと思う。

小さいことに悩むことなく、気楽に構えて生きていきたい。同じ一日を生きるのならば、悩む一日を生きるよりも少しでも、気楽に、楽しく、満足できる一日を生きた方が良い。

どうやったら、そういう一日を生きることができるのかわからないから、困るのだけれど・・・

とりあえず、可能な範囲で自分に都合よく物事を解釈していくことが必要な気がする。

自分に都合よく物事を解釈するということが、つまりどういうことなのか説明することが難しい。

言葉にできないということは考えていないことと同じこと。

自分に都合よく考えるということは、自分が傷つかないようなとらえ方のことだと思う。ただし、自分が傷つかなければあとはなんでもいいのかと言うと、もちろんそういうわけではない。周囲の人も傷つかないような、とらえ方が大事。つまり、相手を悪者にして自分を守ることは自分に都合の良い解釈の仕方ではないということだと思う。

誰かを悪者にすると、自分もいい気分でいられなくなる。そうすると、一日が重くなる。

人生を穏やかに過ごすことができる人の一つの特徴は、物事のとらえ方が、柔軟であるという事だと思う。

一つの出来事に対して、いろいろなとらえ方ができると思う。その数あるとらえ方の中で、自分も相手も傷つかないようなとらえ方ができる人が、穏やかに生きていける人なのだと思う。

でも、実際には、自分は悪くない、悪いのは相手だと思っている人が多いような気がする。正直、自分もそういう一面がある。

少しでも多くの人が、数あるとらえ方の中でも、自分にとっても相手にとっても都合の良いとらえ方ができるようになれば、もっと生きやすい世の中になるような気がする。

 

まぁ、こんなこと言っても仕方ないんだけれども。

頭の中に出てきたことを、とりあえず書き出したから、文章のつながりやまとまりがないけれど、それでもいいか。

 

とりあえず、メモ代わりとして残しておきたい。

うつ病と一人暮らしについて思うこと。

皆さん、こんにちは。サトルです。

 

今日はうつ病と一人暮らしについて思うことを書いてみようと思います。

泣きながらご飯を食べる人のイラスト(男性)

一人暮らし中です。

冒頭でも書いたとおり僕は現在一人暮らしをしています。

一応、仕事もしています。週5日勤務で土日祝日休みのどこにでもいる一般的なサラリーマンです。

 

勤務時間もよくある、朝から夕方までで基本的には出勤して、たまに在宅勤務を行っています。

 

仕事内容は、事務作業がメインで残業せずに済むくらいの仕事をさせてもらっています。(職場に配慮していただいています。)

 

僕のうつ病について

うつ病といっても症状は人によって異なる部分があると思いますので、あくまで僕の場合についてであることをご了承ください。

 

もう、とにかくきつい・・・

 

何をするのも億劫で、本当にびっくりするくらいに日常生活を送ることが困難になります。

 

自分が好きなはずの趣味に対しても全く興味が湧かなくなってしまい、物事に対する意欲が完全になくなってしまいます。

 

人の話を聞いても、音は聞こえているのですが、内容が理解できなかったり、文章を読んでも内容が理解できなかったり、普通では考えられないような感じになります。

 

今はこのようにブログを書いていますが、調子が悪い時は書けないです。

 

原因がわからない不安や焦りが尽きることなく湧いてきてしまって、気持ちに余裕がなくなってしまいます。

頭痛が続いたり、動悸がしたり、食欲がなくなったりすることも症状の一つです。

 

このような症状が慢性的に続いた結果、希死念慮と呼ばれる感情が湧いてきます。

(続かなくても湧いてくるのだが・・・できれば物事に対する意欲が湧いてきてほしい。)

 

人にわかりやすく説明するのがとても難しい。

 

でも、とにかくきつい。これが僕のうつ病です。

 

怠けているように見えるかもしれませんが、違うんです。

 

実際に調子を崩しました。

一人暮らしをしながら実際に調子を崩したこともあります。

 

その時は仕事を半年間お休みしました。

 

有給を使いながら様子を見ていたのですが、職場の上司から「休んだほうがいい」と勧められたので休むことにしました。

 

自分ではまだ何とかなると思っていたのですが、とんだ思い違いでした~。

 

休み始めた後も、少し休めば回復すると思っていたのですが、全然思うように回復せず結局半年も休んでしまいました。

 

一人暮らしでうつ病をぶり返してしまった感想は、本当にきつかった。この一言に尽きます。

 

初めてうつ病になった時は実家で暮らしていたので親や兄弟が助けてくれました。

 

しかし、一人暮らしで周りに頼れる人が誰もいない中でうつ病に耐えるのは本当にきつかった・・・

 

結局、一時的に実家で生活させてもらって、仕事に復帰するところまで回復することができましたが、一人暮らしで調子を崩すことは本当に危険なことだなと感じました。

 

頼れる人がいるのなら・・・

近くに頼れる人がいるのなら、何かあれば助けてもらうことができるので、少しは安心できると思います。

 

しかし、頼れる人が近くにいない状況での一人暮らしは調子が崩れてしまった時が本当に怖いです。

 

僕はすぐに実家に帰れる距離で一人暮らしをしているのですが、これが遠く離れた土地での一人暮らしだったとしたら、と想像すると恐ろしいです。

 

調子を崩してしまうと、一人でどうにかするのは至難の業です。

 

まとめ

うつ病になったことがある人が一人暮らしを検討しているのなら、調子を崩してしまうことをある程度想定しておいた方がいいと思います。

 

そして、頼れる人がいるのならば一人暮らしを始める前に、調子を崩すことがあれば頼らせてほしいということをわかってもらうことをおすすめします。

 

とにかく、自分が一番安心して生きていける環境を作ることが大事です。

 

それが簡単にできれば苦労しないんだけどね。

 

長文お読みいただきありがとうございました。

自分が実現できる範囲で健康的に生きていきたいですね。

今日は運動できました。

皆さん、こんばんは。サトルです!

 

今日は運動することができたので良かった。

筋トレのイラスト「腹筋をする男性」

運動の内容は筋トレの後に少しだけランニングをしました。けっこう、アクティブな一日を過ごすことができた。

 

運動は始めるのは簡単なんですが、続けるのがとても難しい。

 

今日は休んで明日やろう。って思ってるとだいぶ時間がたってから、

あっ、そういえば。って感じで思いだす。

 

大体いつもこのパターンです。

 

まぁ、それでも全然いいですよね。

 

続けることは確かに大事だと思う。でも、続けられないからって駄目なわけじゃないし、何も悪いことはしていない。

 

それなのに、なぜか続けられていないと自分を責めがちな方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

 

僕はまさにこのタイプで、こんなこともできないのか・・・って自分を責めがちです(笑)そして、自信をなくすという負のパターンに入る。

 

最近は、そんな自分に寛容になれてきているので、昔よりだいぶましになりましたけれども。

 

間が空いても続いてるってことにしてしまえばいいんですよね。

 

むしろ、思い出してそこからまた取り組むなんて、大したことじゃないですか!!

 

自分にも他人にも寛容になりたいですね。

 

今日もお読みいただきありがとうございました。

 

おやすみなさい。。。